やはり人間関係において、重要なことは会話なんですね。
今まで口下手で、散々嫌な思いもしてきましたけど、会話ができるようになることで、人間関係が劇的に良くなりました。
話をすることで初めて、お互いに理解できるし、そこから信頼関係が生まれてくるということ、改めて実感できました。
私は典型的な口下手です。
話をしたくても、思うように言葉が出てこないんです。
母親は普通に喋るんですけど、父親はどちらかというと寡黙な人なので、小さい時から「お父さんに似たんだね」なんて、よく言われていました。
弟がいるんですけど、弟は正反対の性格で、宴会部長のような感じで、友達もたくさんいて、「兄弟なのにどうしてこんなに違うんだろう?」と思うことばかりでした。
「優しい」「気遣いができる」なんてことを言われることも多かったです。
それって誉め言葉として捉えられますから、その辺は良かったんですけど、どうしてそうなのか?という理由もあるんです。
小学生の頃に、同級生がイジメほどではないんですけど、嫌われていたんです。
理由は「暗いから…」ということでした。
確かに、その同級生は私よりも大人しかったかもしれません。
幸いそのクラスには、家も近所の幼馴染がいたり、仲が良い子も数人いたこともあって、孤立することもないし私が口下手で大人しいということは、それほど目立っていなかったんだと思います。
その経験から「大人しい=暗い=嫌われる」という方程式が、自分の中でできてしまったんですね。
「優しい」「気遣いができる」というのも、「嫌われたくない!」という気持ちが強くて、「優しく良い人でいれば嫌われないだろう」という考えから、そんな自分になってしまったんだと思います。
実際にその後も、嫌われるようなことはありませんでした。
でも、好かれたり相手にされるようなこともなかったです。
所詮、口下手で大人しい性格ですから…。
雑談上手になれました!
大人になっても、苦労しました。
特に仕事をするようになってからは、やはりコミュニケーション能力って、必要になってくるんですよね。
仕事の中での会話であれば、まだ何とか下手ながらも説明したり、周りの人ともやり取りもできるんですけど、雑談となると、もうどうにもなりません。
思うように言葉が出てきませんし、思い付いたころには、もう次の話題になっていたり…。
話し掛けられても、上手い返しもできません。
「そうですね…」「はい…」となってしまうので、会話が盛り上がることもなかったんです。
そうなってくると、周りに人も「大人しい・寡黙」という印象しか持ちません。
それでも気にしないでいられるなら良いんでしょうけど、本当はもっと雑談とかを楽しみたかったんです。
先輩にも「お前は、ちょっと大人し過ぎるよな。今はまだ新人さんって感じだし、若いから良いけど、もう少しコミュニケーション能力がないと、この先苦労するぞ。」なんて言われました。
その通りだと思いましたね。
それから、タイミング良く、こんな会話の基本を学べるものを見つけることができて、コミュニケーション能力を身に付けようと決心したんです。
これには、ありとあらゆる場面や相手によっての会話の仕方が掲載されているんです。
まさに会話の基本が収められているんですね。
基本だけではなく応用も学べますから、これさえマスターすれば、コミュニケーション能力を身に付けることができるんです。
実際に、私はどうなったかというと、得意というほどではありませんけど、それなりに雑談などもできるようになって、人間関係も劇的に良くなりました。
今までだと「そうですね…」で終わっていたような会話でも、「それって〇〇なんですか?」など、その後に繋げる会話ができるようになったんです。
話し上手な人からすれば、単純なことかもしれませんけど、私のような口下手人間にとっては、話しの膨らませ方を分かっているかどうかって、すごく大きいことなんです。
段々といろいろな人との会話ができるようになってくると、会話というもの自体が楽しいものになっていきました。
やっぱり話をすることで、相手がどんな人なのか?どんな考えを持っているのか?も分かりますし、自分と合うかどうかを判断することもできますよね。
人に好かれる会話術を学ぶようになってから、急激に親しくなって、飲みに行ったり、休みの日に遊ぶような親しい人が何人もできました。
もちろん、「この人とは合わないな」と思うような人もいますけど。
雑談程度の会話でも、できるかできないかで、大きく違うんだなぁと思い知らされました。
この会話術を知ることができて、本当に良かったです。